ひのきしん
ひのきしん。
結構認知されているそうですが、この言葉は天理教の独自の言葉ともいえますし、昔からあった言葉ともいえます。
分解すると、日の寄進。
つまり、神へのお供えという意味になります。
- [2007/05/08 11:15]
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一手一つ
いろいろ諭しを伝えども、それぞれの心に聞き分けが出けん。それそれ分かり無し。どうもならん。胸三寸の処、どうでも三人の心処、三人あれば三人心、五人あれば五人心、一手一つの心にしいかり定めねばならん。」(明治21年 斯道会講社の伺)
拍手(かしわで)というものは、参拝するときに、たとえ1万人を超える人たちであっても、あわそうとすれば合います。
なぜ合うのかというと、合わせようと思うから合います。そして、合わせようと行動を起こすから合います。
人間が一人でできることといえば、たかが知れています。しかし、大勢で事に当たれば、驚くほどの大事業でも大工事でも、実現完成させることが可能です。
その時に、各自が勝手なことをしていたのでは、できるものもできなくなります。各人が各人の役目を、同じ目的に向かって、足並みを揃えて果たすからこそ実現します。
一手一つの心とは、そういうことです。
合わそうという心と、合わそうとして行う行動。
機を見て一手一つに行えば、何をするにも整然と成り、鮮やかに成り立つ。
またこれは、人との関わりに付いても重要な示唆を含んでいます。
一手一つの心で相手と対峙する場合、必ず相手を良く見ておかなければなりません。相手の気持ちやタイミングなどに注意を払い、それに自分を、もちろん相手側も、お互いが合わそうと心がけないと、合うわけがありません。
つまり、銘々の勝手身勝手を自制しなくては、一手一つは成り立たないということです。
協調や協力を欠いた関係ほど、無力なものはありません。無意味に時間や労力、コストをロスし、いらぬ争いや不平不満を生み出します。多くの場合、身から出た錆のような、自爆に近いトラブルです。
お互いが歩み寄り、積極的に合わそうと行動を起こすことが、一手一つの極意なのかもしれません。
(参考として)
「さあさあ尋ねる。一名一人心尋ねる理は、一名一人万人同じ事、一命聞き心にある。何か聞いて居るであろ。人間人間元が分かろまい。世界中皆神の子供。難儀さそう、困らそうという親はあるまい。親あって子がある。この理を聞け。憎い可愛の隔て無い。養育さしてもどのよな者もある。同じ幾名の中、親の子、中に一つ隔てられる、隔てられる。一名一人かりものによって仕(し)られる。」(明治20年 12月9日)
「皆揃うて一名一人計り来る処、精神一つ日々守護、日々道の間、怖い日もどんな日もある。心一つ定め。一手一つ理が治まれば日々栄える。」(明治22年 1月27日)
- [2005/12/10 21:30]
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一名一人、心の理
「をやこでもふうふのなかでもきよたいも
みなめへめへに心ちがうで 」(5号ー8)
「親子でも夫婦の仲でも兄弟も
皆銘々に心ちがうで 」
と、なるかと思います。
「さあさあ人間というは神の子供という。親子兄弟おんなじ中といえども、皆一名一人の心の理を以って生まれて居る。何ぼどうしようこうしようと言うた処が、心の理がある。何ぼ親子兄弟でも」(明治23年8月9日 )
世界のどこを探しても、同じ人間は居ません。また、自在に操れる人間も居ません。たとえ、クローン技術で同一の顔とDNAを持つ存在を作り上げたとしても、心まではコピーできません。
親が子供を虐待する事件がクローズアップされていますが、子供は親の所有物ではなく、一つの魂と人格を持つ存在であるということを、親であるオトナが忘れているせいではないかと思います。
いかに親が子供に無理強いをしても、親の思惑通りには子供は動きません。
すべての人間は、一名一人、心は1人のもの。
一名一人の心を合わすからこそ、大きなことを成し遂げられるのだと思います。
- [2005/12/07 21:29]
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かしもの、かりもの
「たんたんとなに事にてもこのよふは
神のからだやしやんしてみよ 」(3号−40)
「にんけんハみなみな神のかしものや
なんとおもふてつこているやら 」(3号ー41)
(横書きで、繰り返しを表す文字がそぐわない為、表記に修正を加えてある)
「人間というは、身の内神のかしもの、かりもの。心一つが我が理」(明治22年 6月1日)
天理教の教えでまず治めないといけないのは、この「かしものかりものの理」です。
漢字を当てると、
「だんだんと何事にてもこの世は 神の体や思案してみよ」(3号ー40)
「人間は皆々神の貸し物や なんと思うて使こているやら」(3号ー41)
と、なるかと思います。
「この世界は、神の体です。考えてみなさい」
「人間の体は、全部神が貸している『貸し物』です。そこのところを、どう考えて使っているのか・・・」
といった感じでしょうかね。
小難しい話は避けますが(俺が困る)、簡単に言いますと、この世界も人間の体も、神が作ったものであるということです。また、人間の体は、神の守護(理)によって十分に機能することができているのであって、人間が自分で動かしているわけではない、ということでもあります。
要するに、「人間の物(支配できるもの)や無いで〜」ということです。
最後のは「おさしづ」における、かしものかりものの説明です。少し言い換えると、
「人間、身の内は神の貸し物・借り物。心一つが我がの物」
となります。
神は、人間に体を貸し与えていますが、各々の心には、自由を与えてくれています。この心の自由だけは、神も強制的に侵害することはしません。これには、元はじまりの話が絡んできますので、実際には、「神が人間を作ることにした動機、つまり、目的に沿う範疇では」という但し書きが入ります。
目的が何かというと「陽気暮らし」です。正確に言うと「人間が陽気暮らしをする様をみて、神も一緒に楽しみたい」ということです。神は、結構寂しがり屋で、暇でつまんないので、人間を作ろうと思い立ったわけです。
こういう風に書くと、なんだか動機はメチャ軽い、「ちょっと思いついたのでやってミタ」てな感じに思えますが、人間創造時の手間ひまは、数ある宗教の中でもブッチギリに掛かっています。それだけ、真剣に人間を創ったということです。
これは、天理教を理解したい人にとっては最重要な理の話なんですが、一般的にはそれほど重要性が感じられないと思います。以前の俺がそうでしたが、「だからどうした?」で終わる話です。正直、「知ったこっちゃない」と思う人が大半だと思います。
俺の場合、「うるせー、恩着せがましいんじゃ!」と、思ってました。
何故この言葉を書いたかというと、天理教の言葉は、この概念の理解を前提にしているため、これを知ってないと、言葉の、というか、すべての意味が理解不能になるためです。
本当は「一名一人」というのを書きたかったのですが、貸し物借り物の説明を抜きにするのは無理だと、断念しました。
その理由は、次の言葉に表されています。
「めへめへのみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん 」(3号ー137)
と、宣言されているので、それも当然のことです( ´・ω・)
「銘々の身の内よりの借り物を 知らずにいては何も分からん」
漢字を当てると、こうなるかと思います。
個人的な思いですが、お道の理の話を説くには、取次ぎ人(説く人)にこの貸し物借り物の理が深く治まっていないと難しい気がします。
俺は治まってないので、ここで書かれていることは「うそクサッ」と思っておくのが妥当だし、間違いが無いと思います。
- [2005/12/04 21:29]
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沈黙の価値
シャーロック・ホームズの名言
どの話だったかは忘れましたが、ホームズがワトソンに向かって語った中にあった言葉だと記憶してます。
「君は沈黙の価値を知っているし・・・」
同じ島国であるせいか、イギリスと日本での感覚は近いものがあるのでしょうか。
俺は、シャーロック・ホームズの数ある言葉の中でも、これが一番名言だと思っています。この場合の沈黙とは、黙り込むことではありません。
価値ある沈黙です。
沈黙するということは、考えることであり、場を澄ますことであり、時には停滞させることでもあります。
沈黙の価値を知っている人というのは、間違いなく、相手にひとつ譲るという自制心の持ち主であるということを示しています。相手や周囲に気を配らないと、価値ある沈黙は行えない。
沈黙の価値を知らない人と会話をすることは、結構大変です。アメリカでは喋らないと損とか、自己主張がないとか言われるようですが、ペラペラペラペラ喋られてもなぁ・・・
参っちまうぜ( ゜Д゜)y─┛~~
- [2005/12/02 21:28]
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