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教育には秩序と平和が不可欠

<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論


毎日新聞 8月19日(火)10時45分配信
 今年4~6月、埼玉県内の男子中学生6人が、教諭への暴行や傷害の容疑で同県警に相次いで逮捕されていたことが分かった。いずれも「胸ぐらをつかんだ」「胸を殴った」などで学校側が通報し、警察官らが現行犯で逮捕した。被害の程度が軽いケースでも学校への警察介入を進めるべきなのか、校内の問題は現場の責任で解決すべきか--。識者らの意見も割れている。【川畑さおり】

 ◇埼玉「制止利かず通報」…教師の胸ぐらつかみ

 4月15日、草加市の中3男子2人が暴行容疑で逮捕されたケースは、同級生への指導が「気にくわない」と50代男性教諭の胸ぐらをつかみ、壁に押しつけるなどしたのが逮捕容疑となった。教諭にけがはなく、同市教委は「複数の教諭で対応しても制止が利かなかった」と通報理由を説明する。

 5月7日には、さいたま市の中3男子が頭髪を注意されたことに腹を立て、30代男性教諭の胸を殴るなどした暴行容疑で浦和西署に逮捕された。市教委は「以前から段階的に指導を積み上げてきた(が改善しなかった)」と強調。同署は「証拠隠滅の恐れがあるなど(法的な)要件がそろえば逮捕する。決して逮捕権の乱用ではない」とした。

 中学生の逮捕は全国で散見され、今年2月に札幌市で教諭の顔や胸を殴るなどし3週間のけがをさせた例や、同3月に兵庫県朝来市で教諭の顔付近を拳で殴った例などがある。しかし暴行の程度が軽く、短期間に逮捕が集中した点で埼玉県は異例だ。

 同県では、これまで積極的に学校と警察が連携してきた。2002年度に全国に先駆けて「スクールサポーター」制度を導入。県警の非常勤職員が要請を受けて校内をパトロールしたり、問題を起こす生徒とその保護者への指導を行ったりしてきた。現在は元警察官37人と元教員3人の計40人が活動する。03年度には、学校と警察が「必要に応じて協力する」と明記した協定が結ばれた。

 1980年代に放映されたテレビドラマ「3年B組金八先生」は、主人公の生徒が逮捕されるシーンが話題を呼び、「問題生徒を『腐ったミカン』のように排除すべきではない」とする教育論が優勢だった。しかし近年は体罰が社会問題化し、いわゆるモンスターペアレントなど保護者対応もより難しくなった結果、教諭による生徒への抑止が利かなくなっている事実がある。

 中2の息子がいる同県内の50代男性高校教諭は「暴力を目撃した他の生徒のショックは大きいし、自分の子が被害に遭わないか心配。警察の介入は仕方ない」としつつ、教諭の立場から「大人に暴力をふるうのはそれまでの不信感や不満が積み重なった結果。日ごろから生徒とコミュニケーションがとれる関係を作るべきだ」と話す。

 「夜回り先生」で知られる水谷修・花園大客員教授は「もう学校だけでは対応できなくなっている。教諭にゆとりはなく、礼儀などを含む全ての指導を求めるのは無理がある。子供を育てるのは社会全体の責任。学校が警察を含む各機関と連携しながら子供たちを良い方向に導こうとするのは、間違いではない」と理解を示す。

 一方、教育評論家・尾木直樹さんは「生徒の評価権という絶対的権限を持つ教諭が、さらに警察権力を使うのは安易ではないか。学校の自殺行為でとんでもない話だ。背景には教諭の力量不足があり、他生徒への『見せしめ』の意味もあるのだろう。心の琴線に触れるような指導をせずに、生徒が更生するとは思えない」と厳しく批判している。





まず最初に、捕まったガキどもは捕まって当然で、これが見逃されては困る。
単純に暴力事件であり傷害罪だ。ちゃんと裁判に掛けられて、然るべき手順で判決をうけ、量刑に服して反省するべき。

今回の問題は、学校内で吸収せずに、警察に介入させたという点である。
それは、教員に状況を治める力が無く、解決できなかったということだ。

まず、この件の背景である「体罰とその対処」について、理解をして置かなければならない。
その次に発達障害について理解して置かなければならない。これは子供よりも大人の発達障害を指す。

体罰というのは、実力行使の事を指す。実力行使には2つの側面があり、一つは秩序維持のための強制執行。もう一つは暴力だ。

学校内で行われる実力行使は、秩序維持のための強制執行に限り許可されるべきで、多くの人がその有用性を理解しており、崇高な理念と慎重な熟慮を持って、教師が行使するものという建前が存在した。
これはどういう歴史が会ったのかは不明だが、それまでの教員が誠実に勤めたのかもしればないが、教師は聖職という概念が出来上がっていたことが要因にある。

ところが、このBLOGでも再三に渡って指摘してきたが、教員などは平均的に暗記力さえあればサイコパスでも免許が取れるただのサラリーマンであり、能力も適正も欠けているやつがゴロゴロとしている。
性犯罪(個人的には両者合意なら別にいいとは思うんだが・・・)や、窃盗、盗撮、果ては放火までやらかす教員が続出して、聖職などというのはタダの幻想で虚構に過ぎなかったことが周知の事実、あるいは常識になった。

教員はただのリーマンであり、やる気もない無能が多数混ざりこんでいる。
テンプレ的なガイドラインがなければ授業などとても出来ないし、トラブルを解決する能力も気力もない。
それが現実なので、教員に過剰な期待をするべきではないし、過剰に権限を与えるべきではないし、過剰な責任を負わせるべきではない。

ま、蒙が啓かれたわけだ。
俺は、これは良いことだと思う。
このことは、あとで触れるが、尾木ママの理想論と水谷先生の意見の相違の原因になっている。


リーマンにすぎない教員に、50名弱の人間を統制しろというほうが無理があるとは思わないだろうか?
その教員は、リーダーシップに関わる何らかの能力テストに合格したのだろうか?
実績があるのだろうか?
訓練を十分積んだのだろうか?

所詮、ガイドラインに沿った知識の切り売りのやりかたを学んできただけの、適性のない単純労働者にすぎないのではないだろうか?


学校という閉鎖された空間での、特殊な権力構造から生じた教員の横暴が暴かれて静止されていくのと平行して、自由な裁量もまた奪われていった。
これが現在の、学生が挑発してもそれに対応できない原因になっている。

これは、教員の実態が暴露されて権威と信用を失っていった事と、もうひとつはモンスタークレーマーやモンスターペアレントの執拗な攻撃行動に原因がある。
モンペアやモンクレと一般のクレームや抗議、あるいは堪りかねて怒鳴りこんでいくなどの行動を見分けるポイントは、「執拗」であるかないかだ。この執拗さには合理的な必要性や、いわゆる利害的なメリットがない事が多い。ようするに、心理的な欲求で執拗な行動を行っているということだ。

このモンクレ、モンペアだが、ほとんどアスペルガーか、クラスターBの劇場型人格障害である。
つまり、大人の発達障害者である。

よって、発達障害というキーワードが出た際には、次の2つの事柄と1つの留意点を思い出さなくてはならない。
それは、自己中心的行動こだわり行動(異常執着)であり、留意点は劇場型人格障害の特徴である「暴力性(攻撃性)」である。

以前からも書いているが、発達障害者や人格障害者は、バカではない。
ADHDは頭の回転が速い者が多い。衝動的であったり多集中であったりと自制心が弱い場合が多いが、瞬間的な頭脳の開店は速い事が多い。
執拗にあの手この手でクレームをつけてくるので、その対処に学校側はどんどん自由を奪われていった。

その一方で、発達障害者が教員になるケースも増えている。
前述の通り、平均的な記憶力さえあれば、サイコパスでも免許が取れる。教員資格コースは、そういうシステムになっている。

さて、発達障害だろうとなんだろうと、要求される仕事を果たし、コミュニケーションを成立させられれば問題はない。
発達障害は改善するし、発達障害でなければ能力が十分なのかというとそうではない。

結局は、出来るか出来ないかに集約される。



これらを踏まえて、記事に戻ると、次の2つのことが明確になる。

教師に対して暴力的行動を取るものは、通常の大人と子供という個体差に対する恐怖心や畏怖心がなく、自分の行動が周囲にどのような影響を与えているかを感じ取る心理的共感性に乏しい、典型的なADHDの衝動型で反抗挑戦性障害の発達障害だ。

また、教員側は個々の能力差が大きく、現状に対して対処出来るだけの能力を有していない。
経験値の問題か能力の問題(つまり、幼少からの教育と環境の問題)か、発達障害の問題か不明だが、原因は混在しているのだろうが、要するに能力不足の一言に尽きる。
現場の人間が対応できていない。


俺は水谷先生の意見に賛同する。
学校に警察官と婦人警官を配置するのは、以前からも主張してきた。
教員は体罰などという体の良い暴力を許可させるべきではない。教員でまともな実力を有しているのは、俺の経験の範囲では3割程度だった。あとは人格的におかしいのや、やる気のないリーマン、教える能力の低い無能ばかり。この図式は今のそれほど変わってないと思う。

また、実力行使が要求されるような秩序の統制をさせるべきではない。これらは、実力機関が責任をもって保障するべきだ。そうであってこそ、治安の重要さも学べるし、自由と秩序のバランスも学べる。

ただ、問題点もあって、それは「警察官もリーマン」なんだよなってこと。
此処から先は組織論だろうな。

それと、教員に責任を押し付けすぎないこと。
学校は智慧や知識を伝えて教え、思考力を鍛えさせる場所であって、人間を作る場所ではない。それがなぜが子供を育てる=特定のタイプの人間を作る事=それが教員の仕事というおかしな図式になってしまっている用に思う。
そんなことに対応できるようには、現在のほとんどの学校は作られていない。

だが、尾木先生の理想論は、やはりとても大事で必要だと思う。
なぜならば、その方が素晴らしい学校ができると直感するからだ。殺伐とした管理社会よりも、信頼で成り立った穏和で優しい社会のほうが良いに決まっている。

人の信用に浸けこんでズルをするチーターが増えれば増えるほど、管理を暗黙の了解と譲り合いよる調和から、法と秩序による執行に入れ替えねばならず、カラダを機械化して行くようなもので、どんどん温かみが失われていくのだ。



最後に、組織的な体制を作る上で、絶対に必要だろうと俺が思うことを書いておこう。

1,授業中の教員の発言録音。
これはピンマイク等で録音する。フライトレコーダーのようなものだ。
教員側の横暴も防げる。基本的に、俺は教員の半分はクズだと思っているからな。
監査するのではなく、トラブルが起こった時の検証用。半年分の音声データの保管を義務化。今のHDDなら大した経費はかからん。

2,廊下に監視カメラ。
コンビニにあるのと同じ。単純に防犯用。この録画データの管理は、付属の警察が行う。プライバシーの権利があるため、警察も勝手に閲覧はできないようにしておくほうがいいかと思う。
ちなみに、教室内はつけないほうがいいだろう。逆に廊下に加えて、校舎入り口と校門前は必須だろう。

3,発達障害に対する断固たる取り組み
境界知能を割り込んだような重度の知的障害でなければ、発達障害は改善する。が、悪化もする。
分かりにくいアスペルガーやADHDも、断固たる強制力を持って、適切な治療を与えられるようにするべき。
ADHDは2次障害を受けやすいが、治療の必要性を宣告するだけでも二次障害になる可能性があるので、そうならずに済む手段を編み出さなくてはならない。加えて、その際に、親が発達障害である可能性は高いので、モンペアかもしれない。モンペアを黙らせる唯一の手段は、権威組織の実力行使だ。つまり、立法が必須である。
[ 2014/08/19 20:23 ] さすが俺ニッキ | TB(0) | CM(0)

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